おなか

はんぶん隠れて生きていたい

公衆電話がだいすき!

みなさん、公衆電話使ってますか!

わたしは全然使いませんし、使ってる人をみることもほとんどなくなりました。

そもそも街に公衆電話があってもなくてもどうでもいいと思っていたし、使うことがほんとうにない。

 

わたしがすきなのは、特に公衆電話の中でもボタンです。最近の公衆電話は深緑みたいな平べったいボタンだけど、昔からある公衆電話のボタンは、イケてる銀色のカクカクしたボタン。押し心地が最高です、カチッとしてるのにしすぎていなくて、わたしはこのボタンを敷き詰めた布団を作って、夏にゴロゴロしながら身体中でぽちぽちっとこのボタンの上に寝ることが夢です。それともわたしが死ぬとき、棺の中にボタンを敷き詰めてくれたら、わたしは死んでいても泣くと思います…

そのくらいだいすきなボタンなので、みかけたら是非押してみてほしいし、銀色のスイッチの公衆電話をみかけたら、わたしに是非位置情報を教えてください。

 

ここで全然違うはなしになるけど、就職してしばらくたって、わたしは自分のすきなもの(しゅみ?)のことをもっと整理しよう〜〜という気待ちが強くなりました。好きなものは心のよりどころだし、信じたいもの、エネルギーになります。趣味がないことが一種のコンプレックスで、一つのことを極めたり没頭したりすることはとっても体力がいることで、めんどくせ〜〜という気持ちの方が優ってしまうことが多い。でも好きなものはわたしにもちゃんとたくさんあって、わたしの好きなものを認めて、好きなものの目の前で、ああ好きだな〜〜と感じているときのきもちはとても愛おしいし、自分を認めてあげてるみたいな感じもして、素敵です。

 

中学生の時にソフトボール部に入っていて、よく県外の遠征にいっていました、その帰りにサービスエリアに寄って、みんなで自宅に、何時頃に着きます、よろしくお願いします、無事です。と電話するということをしていました。小・中学生の時は、テレホンカードをもっているのが嬉しかったし、10円玉で何秒繋がるのかもしらずにハラハラしながら電話をかけていたし、あのころから公衆電話はずっとやさしい緑色でした。あのころからわたしは多分絶対おそらく、公衆電話のボタンがだいすきだったんだと思います。いまそんなことを思い出したら、あの頃の自分のことも肯定できてしまうような、そんな感じです、おわり。